自己紹介

 ブログを見て頂いた方はじめまして。

 このブログでは高専生の進路に役立ちそうな経験談や失敗談を紹介できればと考えています。私の経歴を簡単に紹介すると、九州の高専の電気系学科を卒業しました。高専時代の成績は約40人中20番前後と冴えませんでした。

 小さい頃から船が好きだったこともあり、高専本科卒で造船メーカーに就職しました。しかし、働きながら学歴社会の現実を知ったことや、もっと勉強したいという知的好奇心がきっかけで大学編入を目指すこととなりました。そして、働きながら受験勉強して就職から2年後に、なんとか国立大学の造船系学科に編入することができ、大学院修士課程まで修了することができました。大学院修了後は、重機メーカーに就職し、さらに特許事務所に転職して弁理士になりました。しかし、上司と合わず特許事務所を去り、再び重工業メーカーに転職しました。

 私は、人より回り道と苦労をしてしまいましたが、この経験が高専生の進路選択の参考に少しでも役立てばと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

 

大学院での就職活動その2

理工系大学、大学院の就職活動の事前準備をまとめました。以前の高専での就職活動では学内での会社説明会はなく、学校に来ている求人票のなかから受ける会社を1社選んで学校推薦で応募というパターンが多く、学校任せでもなんとかなります(ただし、ミスマッチという弊害がある)。しかし、大学では学校推薦を使うにしても自由応募も平行して進めていくので自分から積極的に足を動かして情報収集したり企業との接点を増やしていく努力が必要だと思います。

・冬季インターンへの参加

2月頃に冬季インターンを行っている企業も多くあります。夏季インターンは2週間の企業が多いですが、冬季インターンは1週間かそれよりも短い企業が多いです。そのため、仕事を体験するというよりは企業内部の情報収集のために参加するとよいと思います。

私は大学進学のために退職した造船メーカーの冬季インターンに試しに応募したところなんと選考を通過(辞めた人であることを見落とした?)して同じ事業所でインターンに参加することになりました。働いていた頃は生産計画部署でしたが、インターンでは設計部署になりました。インターンに参加した時点で人事も受け入れ部署の上長の過去勤務していたことを知って、それを指摘されたときは少し気まずかったのですが、この時点で再就職先の候補として考えていて設計部署の情報を知る貴重な機会なので真剣に取り組みました。

・学内での会社説明会への参加

2月下旬から3月にかけて大学に各社のリクルーターやOBが来て会社説明をしてくれるので、少しでも気になる企業は参加するようにしていました。大学の就職担当の教授も説明会への出席率をチェックしているので参加しておけば少しは協力的になってくれるかもしれないのと、積極的に情報収集しておけば後の応募企業決めや選考で役に立つのでできるだけ参加しておいた方がよいです。また、説明会後には懇親会がある企業もあるので志望度が高い企業であれば積極的に参加して志望度や関心が高いことをアピールしてリクルーターを味方につけておくべきです。

・学外での会社説明会および工場見学への参加

特に志望度が高い企業であれば学外での会社説明会や工場見学に参加して人事との接点を増やしておいたほうがよいです。工場見学は交通費を負担してくれる企業も多いので参加しておくと人事に顔を覚えてもたったり、後の面接のネタにもなりますので行って損はないと思います。学外での会社説明会は交通費が自腹の場合が多いのですが情報収集にお金を出し惜しんではいけないので、志望度が高い企業であれば参加しておいて損はないと思います。

 

大学院での就職活動その1

 大学院の修士1年も終わりに差し掛かった2月頃、早くも就職活動について考える時期となりました。進路としては、前の会社から大学まで一貫して船舶に関わってきたので迷うことなく船舶関係の仕事を志望していて、次のような進路を考えていました。

造船業

修士1年でインターンシップに行き、フェリーや特殊船を建造しているM社が第一志望で、その競合のJ社を第二志望とし、他にも造船メーカー数社に応募することにしました。

・海運業界(陸上技術職)、船級協会

人気業界で造船所のお客様、上流側というイメージに憧れがあったため、海運大手3社と船級協会に応募することにしました。

・舶用機器業界

船舶に関する知識が活かせる業界で上の2業界よりも志望度は高くありませんが、舶用エンジンメーカーや舶用電気機器メーカーにも応募することにしました。

 例年、私の学科では学校推薦で就職するケースがほとんどで、特に造船業界には多くの推薦枠がありました。しかし、私が最も行きたいM社からは学校推薦での求人はなく、自由応募しかない状況でした。第2志望以下の造船メーカーには推薦枠があったのでM社を諦めて安全策をとって推薦で他の造船メーカーを受けようかと悩みましたが、ここで妥協したら一生後悔するだろうし、たとえ失敗しても他にも多く応募しておけばどこかには入れると考え、学校推薦は使わず自由応募で数撃つ方向性で就職活動を進めることにしました。

 

 

 

大学院での失速

充実した学部時代を過ごしてそのまま大学院に進学しましたが、仲がよかった友人の多くが就職などで離ればなれとなったことやプライベートでの失恋、学部時代の勢いが衰え目標を見失ってしまったことが重なり、大学院での勉強や研究、資格の勉強に身が入らない日々が続いてしまいました。以前の記事で触れた国家公務員総合職試験も前年よりもひどい結果となり試験途中で逃げ帰ったりもしました。毎日研究室に行き、授業もしっかり受けていたのですが学部時代のような充実感は少なくなってしまいました。

そんな中、私が憧れていた重工業最大手の造船部門のインターンシップの選考を通過し、9月初旬から2週間のインターンシップに参加しました。もともと船マニアで旅客船やフェリーに憧れていた私は大型フェリー建造の現場で船体ブロック組み立ての作業分析することとなり、大変充実した2週間を過ごすことができました。そして、大学院修了後はその重工業メーカーの造船所で働きたいと強く思うようになり、新たな目標を見つけることができました。

インターンを終えた後は、冬に私の大学で開催される国際ワークショップで20分間英語で発表することになっていたため、英語を話すのが苦手ながら必死で準備と練習をしてなんとか発表をやり遂げたことが思い出として残っています。

しかしながら、大学院1年生の期間は、その2つ以外にこれといった成果や思い出がなく、心にぽっかりと穴が開いた空白だらけの1年となってしまいました。

大学卒業

大学院への進学が無事に決まり、残りの学生生活は研究に打ち込んだり、仲の良い友達と過ごしたりと充実した時間を過ごしました。

研究室では、電気推進船の操縦性能に関するシミュレーションの研究をしていたので、高専で勉強した電気電子工学の知識と大学で勉強した流体力学や船の操縦性能に関する知識を活かすことができ、私に向いている研究内容でした。

思い出としては、9月に大学がある中四国から茨城県の果てにある試験水槽に遠征して、一週間泊まり込みで実験をしたり、10月に研究室メンバーと北海道の大学に行って研究発表して学生と交流したりしたことが思い出として残っています。船が好きな私は、写真のように北海道からわざわざフェリーで帰ったりしました。

冬からも研究に打ち込み、2月の卒業論文発表では、なんと成績1位となり、学会から賞を貰うことができました。高専時代に成績が中の下で低迷していた頃を考えると自分は大きく変わったのだと実感しました。

卒業論文も書き終えて3月に無事卒業式を迎え、就職や他大学に進学する友人達と別れ、大学院へと進みます。ここまでは、順風満帆に学部時代を終えることができました。

大学院推薦入試

大学編入する時点で大学院に進学するつもりでいました。また、テストで点が取りやすい3年生以降の科目を中心に成績が評価される有利な状況もあり、同大学の推薦入試を受験できる成績要件も満たしていたため、推薦入試を受けることにしました。

先輩から情報を聞いたところ、推薦入試は面接形式で、志望動機、材料力学の基本的な用語(ヤング率やポアソン比)の説明、流体力学の基本的な用語(レイノルズ数やフルード数)の説明が例年問われており、ここ最近で落ちた人はいないとのことでした。箸にも棒にも掛かりませんでしたが公務員試験(技術系)の勉強を春休みからしていたので技術系の諮問にはある程度の自信を持っていました。さらに、入試までに材料力学や流体力学の用語を説明する訓練をしたり、志望動機も練ってきました。感覚としては大学編入試験をもう一度受けるような感覚でした。

そして、試験本番。受験するのは同じ学科の顔見知りと他大学からの1名を含む10人弱程で、順番が早かった私は早々に試験室に呼ばれました。準備万端とはいえ大事な試験なので緊張しました。

試験室にはお馴染みの教授陣が待っており、初めに想定通り志望理由を聞かれたため、現在の研究や将来の展望を交えながら説明しました。また、大学院修了後は何をしたいのかも聞かれたので、造船メーカーで船の軸系装置の設計がしたいと答えました。すると、私の研究室の教授から船の軸系装置は機械構造系だけど、私がしている流体系の研究との関連が少ない気がすると突っ込まれましたが、なんとか関連付けて説明しました。

次に、材料力学と流体力学の用語について問われ、想定内の内容だったので難なく説明を終えました。

最後に、私が艦船マニアであることを知っている別の教授からなんで艦艇が好きなの?といった質問があったので、商船とは構造的に全く別物であり高い技術が求められるから興味があるといった回答をしました。その後は少し雑談のような感じとなり試験終了となりました。感触としては落ちることはまずないといった感触でした。

そして、試験から約1週間後、例年通り受験者全員合格という結果になりました。

 

 

 

国家公務員総合職試験に挑戦

大学4年生になる春休みに国家公務員総合職試験に挑戦することを決めて、3月下旬から大学の図書館に朝から夕方まで籠って勉強を始めました。試験本番は5月下旬なので勉強期間は2か月ほどです。

総合職試験は、1次試験と2次試験があり、1次試験は一般教養系の基礎能力試験と工学などの専門試験に分けられます。工学の専門試験の内容は大学院入試や企業の就職試験でも役立つ内容なので、過去問や参考書を購入したり、大学のテキストも活用して大学院試にも応用できるように勉強しました。

一方で基礎能力試験は日本語や英語の文章読解や社会科系の問題など一般的な大学入試や普通科高校の授業になじみのない私には少し取っつきにくい内容でした。特にできる気が全くしなかったのが数的推理や判断推理で図形や表を使ったパズルのような問題や登場人物の発言や部分的な資料からわからない部分を推理するといった内容で、解き方を覚えるというやり方が通用せず、いわゆる地頭がよくない私は苦手に感じていました。

それでも、今回の受験は大学院入試の練習であり、また、落ちても大学院在学中にチャンスはあと2回もあると思っていたので気楽に考えていたこともあり、だらだらと勉強してしまい、気が付けば試験前日になっていました。試験会場は大学からかなり離れた街中の専門学校だったので、街中のネットカフェで前泊して臨みました。さらに、最後の悪あがきとしてだらだらと徹夜して勉強しました。そんな無理もあって試験当日は風邪気味で寝不足という最悪の状態でエナジードリンクを飲んで朝から夕方まで踏ん張りました。午前は専門試験、午後は基礎能力試験で1日中机で問題と格闘してとてもハードな試験でした。試験が終わると結果はさておき挑戦してきたという達成感を感じました。

試験結果は1次試験不合格でした。得点をみると専門試験は合格基準点に近く、基礎能力試験は合格基準点までもうひと頑張りといったところでした。この分だとあと1年勉強すれば余裕で合格できると甘い見通しを立ててしまいました。結局、その1年あまり勉強はしませんでした。

そして、次の年も前年と同じような勉強量で総合職試験を受験しましたが、午前の専門試験すらボロボロで心が折れてしまい昼休みに試験会場から逃げ帰るという前年よりもひどい結果に終わりました。

何の試験にしても「落ちてもあと1年勉強して次の年の試験に臨めば余裕で合格できる」という考えは非常に危険です。大抵は1年だらだらと過ごして前年より悲惨な結果になるのがオチです。そのことを公務員試験への挑戦を通じて学びました。

大学3年での進路選択

とても充実した大学3年生も終わりに近づき再び進路を考える時期に差し掛かりました。私は大学院に進学するつもりで大学編入したため在学している大学の大学院への進学を希望していました。

大学院入試は一般入試と推薦入試があり、推薦入試を受けるには学科内順位が10位以内で、TOEICとE-MAT(数学のテスト)の得点が一定以上という条件がありましたが、私はいずれの条件も満たしていたので大学院の推薦入試を受けることにしました。筆記試験と面接が課せられハードな受験勉強をしなければならない一般入試と比較して推薦入試は面接のみで口頭試問があるものの先輩の話を聞く限り落ちることはまずないとのことでした。

しかし、大学院での就職活動を見据えて大学で行われる様々な企業の説明会に参加して視野を広げるようとしました。造船や建設機械、プラントなど様々な企業の説明会に参加してその後の懇親会(会社負担で飲食しながら歓談なので学生にはありがたい)もしっかり楽しみました。ちなみに私が在籍していた造船メーカーも説明会に来ていたので懇親会まで参加しました。

そんな中、私は艦船好きだったこともあり3月に東京で行われた防衛省技術研究本部の説明会まで足を延ばしてみました。午前は市ヶ谷の防衛省の庁舎で行われた艦船設計職の説明会に参加し、午後は目黒の研究所で試験水槽などを見学しました。艦船好きの私にとって憧れの景色がそこには広がっていました。そして、ぼんやりと防衛省技術研究本部を目指したいと思うようになりました。

そこで、防衛省技術研究本部に入るには国家公務員総合職試験に合格することが大前提なのと春休みで時間があったのでダメ元で国家公務員総合職試験を受けてみることにしました。国家公務員総合職試験の専門科目は大学院入試の内容と共通しているので大学院入試対策にもなると考えていました。この内容は次回から詳しく説明しようと思います。